温故創新広東料理の奥深さをみなさまに
創業者夫妻の味を受け継ぐ一方、広東料理・香港料理にその神髄を求め、かつ「温故創新」をモットーに菜香新館は広東料理の奥深さを皆さまにお届けします。
ここでなければ味わえない点心、焼き物、名物の海老料理など、専任厨師の手によるメニューの数々をお楽しみください。
春は旧正月を祝う春節料理、夏は三浦半島産のミニミニ冬瓜を器に見立てた頂湯スープ、秋は美食家垂涎の的、上海蟹、冬は腸詰や風干し肉が菜香新館の風物詩です。
春夏秋冬、季節ならではの食材を用いたメニューをご提供しています。
くつろぎと癒しの空間が広がる5階建の大型店舗。
気の置けないご友人とのランチから、結納や顔合わせのような人生の節目、団体様のご宴会まで、さまざまなシチュエーションに対応します。
バリアフリー充実。授乳コーナーやおむつ替え台も備え、皆さまに、いつも喜ばれるレストランであることを目指しています。
1919年、曽耀全は中国広東省広州を旅立ち、横浜の大桟橋に第一歩を踏み出しました。
当時、初代はまだ15歳。親戚の貿易会社に丁稚奉公に入りました。
そして第二次世界大戦が終結し、焼け野原の地に建てたバラックから、菜香の歴史が始まりました。
販売したのは配給の小麦粉で作ったドーナツ。食料の乏しい時代、それを手にした人からは笑みがこぼれたといいます。初代は、命をつなぐ”食”の有り難みを痛いほどに感じていました。
そして「銘珍(めいちん)」という食堂を開業、その後中国から食材を輸入し「耀盛號(ようせいごう)」を開業、その食材を使って料理上手の夫人、林健蘭がつくる腸詰めや大根もちも店先に並べ、これが評判を呼び、本店への下地になりました。
1963年に珠江飯店を開業。この頃の中華街は船乗りでにぎわう、いかにも港町の盛り場といった雰囲気。まだ日本人は少なく、店は夫人の家庭料理を楽しみにやってくる香港からの船乗りでいつもにぎわっていました。
1970年代に入ると日中国交正常化、中国ブームが巻き起こりました。中華街の街づくり事業も 活発になり、中華街は一転、日本人も多く訪れるにぎやかな街になりました。中国料理も徐々に浸透し、料理店が飛躍的に増えました。
1984年、広東・香港の食文化である「飲茶」を日本に導入、専門店「菜香 市場通り店」を開業。
「海老蒸し餃子」の透明な皮をはじめ、繊細な姿、これまでにない食感、味わい、菜香の香港点心は日本の人々に驚きをもって迎えられ、連日長蛇の列を生む飲茶ブームを起こしました。
1988年、広東料理の奥深さをよりたくさんの方にお届けしたいと「菜香新館」を開業、初代夫妻の味を受け継ぐ一方、香港屈指の厨師を招聘し、菜香でしか生まれない味をお届けしています。